ともだちとの距離感 「ナイルパーチの女子会」

友達関係 ナイルパーチの女子会人間関係

〜女性同士の距離感 友達ってなんだろう〜

今年のお正月は家にいる時間が長く、映画を見たり本を読んだりと地味ながら一番好きな過ごし方ができました。映画やTVシリーズは家族みんなで見る時はアクションやコメディなどエキサイティングな作品を選びがちですが、先日一人で何となく見始めたドラマ「ナイルパーチの女子会」は非常に考えさせられるお話しでした。

原作は柚木麻子さん。小説は未読です。こうして先に映像を見てしまったのですがこれだけ2人の女優(水川あさみさんと山田真歩さん)のドロドロな心情表現を見ると脚本の質の高さと演技の巧さは当然ながら、原作の「エグさ」と「深さ」は相当なものと思われます。近いうちにぜひ読んでみようと思います。

=ここからは(ドラマ版の)ネタバレを含みます=

「おひょうのダメ奥さん日記」というグータラでほのぼのした日常を書くブログの作者とその読者が実際に知り合い、それぞれが自分の持つ闇と向き合いたくないのにそうせざるを得なくなってゆく様子をリアルに描く、心をえぐられるような物語です。

ブログを書く翔子は専業主婦。優しい夫と贅沢ではないけれど美味しいものを食べたり、決して華やかではない日々だけれど小さな面白い事をすくい取っては日記にしています。これから大きな進展がなくともこうしてささやかに夫と2人で仲良く暮らすことが何よりの幸せだと思っている女性。
もう一人の主人公、栄利子はお嬢様育ちの商社勤め。実家と会社の往復の合間に読む地味ながらクスリと笑える翔子のブログを息抜きに、大きなプロジェクトを抱えるプライドの高い美人キャリアウーマンです。

栄利子のリサーチ力(仕事が優秀である一方で異様な執着のあらわれ)といくつかの偶然で2人は出会い、知り合ってゆきます。「女友達」に妄想を抱いている栄利子。栄利子の放つ「キラキラ」がひたすら眩しい翔子。相手のその心も感じ取りつつ、自分の欲も満たし、win-winの2人と思いきや、強引さと我慢と理想のはざまで2人の心とそして生活そのものが破綻してゆきます。

ダークな心理描写と残酷な展開がミルフィーユのように重なった物語に心が締め付けらるようでした。それでも2人が「友達になった」瞬間の象徴として登場するイルミネーションの中を自転車で2人乗りで通るシーンは幻想的かつ本当に楽しそうで、思わず学生の頃を思い出してしまいました。この物語りと同じように私の通った学校も自転車通学が禁止されていて、住まいは皆、偶然にも近く、帰宅してからは自転車であちこちと遊んだものでした。それは何もかも共有して良い相手のような気持ちにさせる環境でした。今思えば大人になる少しだけ手前の頃にあった心理でしょうか。

学校を卒業して皆、それぞれの道を進む。女性は結婚したり、子育てに追われたり、一方で仕事に邁進する人もいれば、その両方を得たいと奮闘したり。当時は遅々として動かないように感じた毎日も、振り返れば実は人生のドラマは早々に動いていたのだな、と痛感します。男女の真の平等性が強く言われるようになった今でもそれはやはり変わらない。進む方向性の違いで付き合いが希薄になっていった友達、いますよね。

女性特有の観察力で自分の持っていないものが浮き彫りにならない場所を探したり、自分と似たようなものを持っている人を探してみたり。傷つかないように、あるいは既に持っている傷を直視しないよう慎重に、それでいながら平気そうな顔で生きようとする。卑屈を隠すために無意識に傲慢になる心理は女性間の付き合いでは多く見られ、それで悩む人は沢山います。栄利子の勤める大手企業で働く女子派遣社員達の社員食堂での会話も正社員への対応も非常にリアル。

「友達」って本当に何だろう、と考えさせられる作品でした。「人との距離感」というものの見境がつかなくなり、暴走する栄利子。そんな彼女を疎ましく思いながらも、無意識で憧れのブロガー先輩相手に似たような事をしている翔子。共依存のような関係の栄利子と母。父に愛された記憶がなく実家に寄り付かない翔子。コントラストの強い2人が心のカーテンをめくると交差するような心を持っている描写はなるほど、と思いました。そして親子の関係とその後の人間関係というのは大きく関わると改めて感じました。

人間関係で疲弊することにもう慣れている私たち。
それでも「家族」と「友達」というものはその疲弊を忘れさせてくれる存在だと、ありがたく思う人はたくさんいることでしょう。なので、そこに難しさが発生すると言葉にできないほどの孤独感に陥る事もあります。とはいえ、その感情は誰にも知られたくない、という思いもあったり、誰かとSNSで楽しく共有できる事があるととりあえずホッとしたり。。。

この小説(ドラマ)のレヴューが多く上がっていました。この2人の関係を「怖い」と表現する感想が多くありました。でもこの「怖い」心情を私たちは理解できるからこそ「怖い」と感じるのです。誰にでも少しずつ存在する栄利子と翔子。淡々と軽やかに生きたいと願いながらさまざまな悲しみや苦しさに翻弄されてしまうのも人間らしさなのかも、と思えてくるのです。